STORIES / REPORT

好きなものを、持ち寄る夜。

YOKABAN “TOKUBAN” in 下北沢

YOKABANの幕を背に、竹のコップを掲げて乾杯する3人

「今日も、みなさんにとって、よか晩になりますように。」

YOKABANのオーガナイザー、タブゾンビの言葉とともに、まずは乾杯から。
YOKABANでお馴染みの竹のコップには、鹿児島から直送された焼酎とクラフトジン。
それぞれ好きな一杯を手にして、その夜は始まった。

音楽があって、お茶があって、焼酎がある。
そして、タブゾンビ、長岡亮介、伊澤一葉の3人がいる。

YOKABANのスピンオフ企画「TOKUBAN」。

舞台は下北沢。

トークイベントとも、ライブとも少し違う。飲みながら話し、話していたと思えば、音を鳴らす。

昔の話、車の話、楽器の話。
下北沢の店、お茶、鹿児島、そして音楽。

話題はあちらこちらへ転がっていく。

でも、その取り留めのなさこそが、この夜にはよく似合っていた。

雨の向こうを映すBEAMS Planetsのガラス窓
焼酎やジンのボトルとメニューが並ぶカウンター

「好き」から、始まった。

そもそもTOKUBANの始まりは、とてもシンプルだった。

BEAMSのスタッフがYOKABANに惹かれ、「一緒に何かできないか」と声をかけたこと。

好きだから、もう少し近づいてみる。
近づいたら、一緒に何かつくってみる。

そこから音楽だけではなく、鹿児島のお茶や焼酎、黒酢、竹細工など、YOKABANのまわりにあるものが少しずつ下北沢へ集まってきた。

その真ん中には、タブゾンビの故郷・鹿児島がある。

東京と鹿児島。
音楽と食と手仕事。

それぞれの境界線をあまり気にせず、一緒にカルチャーをつくってみる。

TOKUBANには、最初からそんな空気が流れていた。

3人が集まると、話はどこへでも行く。

タブゾンビ、長岡亮介、伊澤一葉。

3人の付き合いは長い。

飲みものを紹介しながら言葉を交わす3人

20代の頃の話になれば、昔の音楽現場の記憶が次々と出てくる。

20代の頃、長岡だけが車を持っていて、伊澤はよく乗せてもらっていたという。

「長岡君しか車を持ってなかったんで、よく乗せてもらってたんですよ」

長い時間を一緒に過ごしてきたからなのか、3人の会話にはあまり説明がいらない。

誰かが話し始めれば、横から誰かが入ってくる。

話が少し脱線しても、別の誰かが拾って、また転がしていく。3人の関係性は、こういう一瞬にもよく表れていた。

車の話から楽器の衝動買いへ。体型の話から音の太さへ。そして気がつけば、音楽そのものの話になっている。

この日は、来場者から事前に寄せられた質問に3人が答える時間も。下北沢のおすすめの店から、音楽のことまで。質問をきっかけに、また話は思わぬ方向へ転がっていく。

この3人でいると、いつもの立ち位置も少し変わる。伊澤が“突っ込む側”に回るのも、YOKABANならでは。そんな役割の入れ替わりも、この3人のバランスだ。

なんだか、それ自体がすでにセッションのようだった。

お茶を飲むと、話が少しゆっくりになる。

テーブルには、鹿児島から届いたお茶も並んだ。

鹿児島堀口製茶のお茶が注がれると、3人から出てきたのは、難しい評論ではなく、とても素直な感想だった。

お茶の袋を掲げて紹介する場面
グラスのお茶を味わうタブゾンビ

「柔らかい。」そして、「ガブガブ飲みたい。」その言葉が妙にいい。

深蒸し茶とは何なのか。なぜ蒸す時間を長くするのか。さらに、釜炒りなど製法についても、長岡から次々と質問が飛ぶ。

そんな長岡に、伊澤がひと言。

「いつの間にか、お茶博士みたいな」

そう言われてみれば、この日の長岡がかぶっていたのも、お茶の緑を思わせるグリーンのYOKABANキャップ。そこへタブゾンビが「チャチャチャ」と囃し立て、会場が笑う。

その流れで、振ってつくる抹茶「matcha LOVE」もみんなで一緒に。

ボトルを振って、その場で抹茶をつくって飲んでみる。

少し前まで焼酎を飲んでいた3人が、今度は並んで抹茶を飲んでいる。

抹茶のボトルを手に、笑顔で言葉を交わす3人

焼酎からお茶へ。
お茶から抹茶へ。

テーブルの上の飲みものが変わるたび、話題も少しずつ方向を変えていく。

「YO」「KA」「BAN」を、3人で書く。

会場には、「YO」「KA」「BAN」と3人がそれぞれ手描きした文字を使ったグッズも並んだ。納得がいかず、書き直したものもあるという。少し不揃いな線も、そのまま残っている。

YO、KA、BANの手描き文字を配した緑色のトートバッグ
店内に並ぶYOKABANのTシャツと手仕事の品々

セッションするとき、何を見ている?

そして、音を鳴らす前。

進行役から、ひとつの問いが投げかけられた。

「他人と演奏するとき、何を見ていますか?」

少し変わった質問だった。

相手の手元を見るのか。
表情を見るのか。
それとも、自分の演奏だけに集中するのか。

3人の話は、そんな技術的なところから、もう少し曖昧な感覚へ向かっていく。

演奏中、目を閉じることがあるという伊澤。その感覚を、こんな言葉で表した。

「音を見てるみたいな感じ。」

「音を見るっていうのはそうだよね」と、長岡も応じる。一緒に演奏しているとき、相手が何をしているかを見ることがある。それも、音を見ているということかもしれない。

タブゾンビが「感じてるんだね」と言葉を添える。

音は耳で聴くもの。

もちろんそうなのだけれど、長い間誰かと音を鳴らしてきた人たちにとっては、音の向きや気配、次に何が起こりそうなのかまで含めて、どこか“見えている”のかもしれない。

話はさらに、「間」へ。

音楽には、間をどんどん埋めていく人もいれば、あえて大きく残す人もいる。

音を鳴らしている時間だけが音楽ではない。

何も鳴っていないところにも、その人の音楽がある。

鍵盤を演奏する伊澤一葉
ギターを演奏する長岡亮介
トランペットを演奏するタブゾンビ

いいセッションって、なんだろう。

もうひとつ、こんな質問が出た。

「いいセッションと、悪いセッションはどう違うんですか?」

それに対して返ってきたのは、採点するような答えではなかった。

「いいも悪いもないというか。」

そして、

「その場でしか、その日にしかない。その時にしかないから、それはもう楽しむしかない。」

どれだけ親しい相手でも、その日の状態は同じではない。

自分には自分の、その日の“時”がある。
相手には相手の“時”がある。

そして会話のなかで、伊澤からふっとこんな言葉が出た。

「ずっとセッションして生きてるみたいな。」

演奏することも、誰かと話すことも、その日の自分と付き合い、相手の“時”を感じることも、どこかでつながっているのかもしれない。

鍵盤とギターを前に笑顔を交わす出演者

よか晩は、つづく。

そして最後は、3人のセッションへ。演奏するのは、来場者から事前に寄せられたテーマ。その場で受け取り、3人が即興で音にしていく。

テーマの書かれた紙を持つ手元

「その日にしかない。」

そんな話をしたあとに、その日にしか鳴らない音を鳴らす。

鍵盤、ギター、トランペットで最後のセッションをする3人

それ以上の説明はいらなかった。

そうして下北沢の夜は、“よか晩”になった。

次は、福岡へ。

場所が変われば、きっとまた違う夜になる。

主催

TOKYO CULTUART by BEAMS @tokyo_cultuart

キュレーション

IMOROCK

POP UP出店者

協力

RITTA inc.

株式会社南海堂 @getanha.jp

協賛

株式会社伊藤園 @matchalove